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「きみはもう、<苦痛の仲間>の一員になったんだ。苦痛の真の意味を―そしてその苦痛がやわらげられることの意味を、きみは学んだ。苦痛を経験した者として、この人生におけるきみ自身の聖なる義務が、もしできるなら他人の苦しみを癒すことにあると考えねばならない。けっして、他人に苦しみを引き起こしてはならない」
パホウィン族の族長の息子に対して、アルベルト・シュヴァイツァー[出典]

アルベルト・シュヴァイツァー[1]Albert Schweitzer )は健康に奉仕することを生きがいだと考え、アフリカで原住民の治療をしたドイツ人医師である。また、神学者、オルガニスト(オルガン奏者)でもあり、フランス領赤道アフリカ(現在のガボン)のランバレネで妻のヘレーネ・シュヴァイツァーと共に病院を開いた。彼はそこにいる間、"生命への畏敬"と呼ばれる哲学を考え出した。

経歴 編集

1916年12月後半から1917年1月、インディアナ・ジョーンズがアフリカ遠征隊のの一員として<コレット>でシュヴァイツァーの病院の近くの川に現れる。ジョーンズと仲間たちは熱病にやられており、彼は病院で<コレット>を止めようとした。しかし彼の優れた上官のブーシェ少佐や部下のバーセレミー軍曹は反対した。そのため彼らはそのまま通り過ぎていった。

やがて、ジョーンズたちが往復でポール・ジャンティルから引き返して来たとき、病気は前よりも進行しており、悲惨な状態だった。シュヴァイツァーは助手のジョーゼフをジョーンズたちの船に送り、ジョーンズが船ごと自爆するのを阻止し、病院へ連れて行こうとした。シュヴァイツァーの治療を受けたレミー・ボードワンザカライヤ・スロートジームーや他の兵士たちも回復していった。だが、ジョーンズは船の積荷をドイツ人に渡すことを拒み、病院を抜け出し船に戻った。シュヴァイツァーはジョーンズを説得したが、ジョーンズは戻らず、彼は怒った。ジョーゼフが彼を冷静にさせ、連れ戻した。
Schweitzer piano

ピアノとシュヴァイツァー

その日の夕食後、ジョーンズはシュヴァイツァーのピアノの演奏を聴いた。ジョーンズもシュヴァイツァーと共に弾いた。妻のヘレーネはシュヴァイツァーの演奏の腕を褒めたがアルベルトは謙遜した。

ある日、川から男たちが現れ、シュヴァイツァーに助けを求めた。シュヴァイツァーとジョーンズ、ジョーゼフは<コレット>に乗って目的地に向かった。シュヴァイツァーはジョーンズに自分が彼らから"オガンガ(Oganga)"と呼ばれている理由を教えた。オガンガとは"命を与え奪う者"という意味で、シュヴァイツァーが治療のために麻酔を使うと原住民たちは命を奪ったと考え、その後麻酔が切れて意識が回復すると命を与えたと考えるためである。やがて船はパホウィン村に到着した。苦しんでいたのはパホウィンの族長の息子だった。シュヴァイツァーは彼を治療し、族長の息子に"他人に苦しみを与えてはいけない"と言った。手術後は族長のヨーロッパでの戦争について答えた。彼は死人の数の多さを理解していなかった。帰りの船でシュヴァイツァーはジョーンズに、戦争は良心のある人間たちが命令に従って他人の故郷を侵略したことによって起きたものだと告げ、生命について語った。

船が戻ったとき、シュヴァイツァーの病院にはロスタン大尉をはじめとするフランス兵たちがいた。彼らはドイツ人であるという理由でシュヴァイツァー夫妻に強制退去を命じた。ジョーンズは反対したが、止めることはできず夫妻はジョーンズとレミー・ボードワンに見送られてヨーロッパ行きの船に乗った。

舞台裏 編集

インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』でアルベルト・シュヴァイツァーを演じたのはフレデリック・フォン・トゥーンである。

第一次世界大戦後、アルベルト・シュヴァイツァー医師はランバレネの病院に戻り、時折彼の病院の資金調達と哲学の講義をするため、ヨーロッパに渡った。そして1953年には彼の哲学と生涯をかけた人道的活動へノーベル平和賞が贈られた。その後は核兵器に反対する運動を起こした。シュヴァイツァーは1965年に死亡し、遺体はランバレネに埋葬されている。

登場作品 編集

英語の題名は未邦訳作品。

脚注 編集

  1. カタカナ表記は『密林の聖者』に基づく。

関連項目 編集

外部リンク 編集

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