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トーマス・エドワード・ロレンスThomas Edward Lawrence)はアラブ反乱に重要な役割を果たしたイギリスの軍人である。彼は家族や友人にはネッドNed)と呼ばれ、第一次世界大戦の間はアラビアのロレンスLawrence of Arabia)として知られていた。

経歴 編集

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1908年のロレンス

T.E.ロレンスはオックスフォード大学を卒業した。この大学ではミス・ヘレン・シーモアの生徒だった[2]1908年、ロレンスがエジプトを自転車で旅していたときに偶然ミス・シーモアとヘンリー・ジョーンズ・ジュニアに出会う。彼らはガイドに見捨てられていた。自己紹介でロレンスは自分をネッドと呼ぶように頼み、ジョーンズとの会話でロレンスは彼の父親の本を読んでいることを明らかにした。そして2人は友人になった。その夜、ロレンスはジョーンズと世界の宗教について語り合い、ピラミッドで目を覚ますミイラの話をして少年を怖がらせた[2]

翌日、ロレンスはインディとミス・シーモアをハワード・カーターの遺跡発掘現場に連れて行く手配をした。ナイル川を渡る船の上でロレンスはインディに現地の言葉を知ることの重要さを教えた。発掘現場ではジャッカル像をめぐってラシッド・サラムが殺され、ロレンスはデメトリオスが犯人だと突き止める[2]。ロレンスがデメトリオスを追って港に着いたときには5分遅く、彼の姿はなかった[2]

インディが青年になったときもロレンスと関係を持っていた。第一次世界大戦の時には手紙で連絡を取り合った。インディは1908年のネッドと出会ったときの写真を手帳に保管していた。1917年10月、イギリス軍とオーストラリア軍がトルコ軍によって支配されたガザを奪還できなかったとき、ロレンス少佐はアラビア語とトルコ語を流暢に話すスパイとして推薦した。ロレンスがアラビアに戻り、インディがベールシェバの任務のために出発する数日前に2人はパレスチナのテントで再会した[3]

1919年5月、友人は再びパリを横断した[3]

ロレンスはオートバイ事故によって1935年[3]に死亡した。後に彼の人生を描いた映画が作られることになる。インディアナ・ジョーンズはそれ以後の人生でもロレンスを尊敬し続けた。

舞台裏 編集

インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』では2人の異なった俳優がロレンスを演じた。『ヤング・インディ・ジョーンズ ジャッカルの呪い』(『My First Adventure 』)ではジョゼフ・ベネットが演じ、『1919年 5月 パリ』(『Winds of Change』)と『1917年 10月 パレスチナ』(『砂漠の勇者たち』)ではダグラス・ヘンシャルが演じた。

『ジャッカルの呪い』でロレンスは、自分が話を作るのが好きだと言っている。ロレンスの書いた本、『知恵の七柱』では幾つか誇張したと思われる部分がある。

ロレンスは1935年に死亡した―これは『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』の設定年代である。

登場作品 編集

参考 編集

脚注 編集

  1. アルティメット・ガイド
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 小説版『ジャッカルの呪い』
  3. 3.0 3.1 3.2 Indiana Jones Wiki

外部リンク 編集

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